天才軍師黒田官兵衛に学ぶ処世術

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こんにちは。店通ライターのmomoです。
みなさんは黒田官兵衛という人物をご存じですか。


2014年のNHK大河ドラマでV6の岡田准一さんが演じ注目を集めました。戦国時代~江戸時代前期の武将で、軍事的才能だけでなく調略や交渉術にも優れ、竹中半兵衛と双璧をなす豊臣秀吉の参謀です。


弱肉強食の乱世に『我 人に媚びず 富貴を望まず』という言葉を残した官兵衛は、どのようにしてこの時代を生き抜いたのでしょうか。戦国の三英傑(織田信長・豊臣秀吉・徳川家康)をも恐れさせる才気を持ちながら、生涯参謀として生きた天才軍師黒田官兵衛の処世術をご紹介します。


先を見通す目を持ち信義を貫く

黒田官兵衛は天文15年黒田職隆の嫡男として播磨国姫路に生まれました。幼少期は文学に関心を持ち、武芸は得意ではなかった官兵衛ですが、永禄10年父から家督を譲り受け小寺家の家老となります。
 
西に毛利、東に織田と強国に挟まれた小寺家の家中は、どちらにつくべきか意見が分かれます。家臣の大半が毛利方につくことを主張する中、織田信長の才能をいち早く見抜いた官兵衛は、織田方につくことを小寺政職に進言します。
 
破竹の勢いで近畿地方を手中に収めた信長は、次に中国地方に触手を伸ばします。山陰山陽の雄、毛利氏を倒すために豊臣秀吉を中国攻めの先方として派遣しました。
 
秀吉に才気を見出した官兵衛は秀吉の軍師として戦いに参加しました。順調に進んでいると思われていた中国攻略でしたが、突如として織田家の重臣荒木村重が反旗を翻し有岡城に籠城します。

官兵衛は村重を説得しようと有岡城に乗り込みますが、逆に幽閉されてしまいます。村重から幾度となく毛利に寝返るよう迫られた官兵衛でしたが頑なにこれを拒み、最後まで信長を裏切ることはありませんでした。
 
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天正7年織田軍が村重に勝利し官兵衛は救出されます。官兵衛の幽閉生活は1年にもおよび足に障害が残ることとなりました。

危機の中に勝機を見出す

織田軍が小寺家を滅ぼし正式に織田家の家臣となった官兵衛は、秀吉の軍師として持ち前の知略を駆使し戦いに勝利していきます。天正10年に備中高松城を攻略している最中、本能寺の変が起こりました。絶対君主として天下統一を果たした信長が、明智光秀の謀反により自害に追い込まれたのです。
 
信長横死の知らせを受け動揺する秀吉を前に、官兵衛は冷静に状況を分析し秀吉を天下人にする絶好の機会と捉えます。信長の仇を討つことが後継者争いに勝つ最善の方法と考えた官兵衛は、毛利方に信長自害の情報が伝わる前に和睦交渉をまとめ、たった10日で備中から山城へ引き返し、山崎で謀反人光秀を撃破します。
 
この戦いに勝利したことにより秀吉は後継者争いで一歩先を行くことができました。
 

臨機応変に立ち回る

その後も秀吉を天下人にするために奔走した官兵衛でしたが、どんなに戦に貢献しても秀吉から大きな恩賞を与えられませんでした。なぜ秀吉は自分のために奔走した官兵衛に恩賞をあたえなかったのでしょうか。
 
ある日秀吉は家臣に『自分にもしもの事があれば次に天下人となるのは誰か』と問います。家臣からは徳川・上杉・毛利・前田などそうそうたる名前があがる中、秀吉は『官兵衛だ。官兵衛はその気になればいつでも天下人となる器量を持ち合わせている』と答えます。大きな恩賞を与えることで有能な官兵衛が力をつけ、自分を脅かす存在になることを秀吉は危惧したのです。
 
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そんな秀吉の気持ちを察し、このままでは黒田家が秀吉に潰されてしまうと考えた官兵衛は、家督を息子の長政に譲ります。その後名前を『如水』と改め、天下取りに私心がないことを表します。

相手の真意を見抜く

家督を長政に譲り隠居生活を送ろうとしていた如水でしたが、北条氏を攻めあぐねていた秀吉に請われ再び軍師として小田原征伐に参加します。膠着状態の中、北条氏に戦う意志がないと見抜いた如水は小田原城に乗り込み、粘り強く開城するよう説得します。
 
籠城は3ヶ月にもおよびましたが、北条氏は如水の説得を受入れ降伏します。北条氏が降伏したことで秀吉の天下統一は揺るぎないものとなりました。
  

鷺は立ちての跡を濁さず

慶長3年秀吉がこの世を去り、石田光成と徳川家康の対立が深まります。慶長5年に起きた関ヶ原の合戦では、天下の覇権を巡り光成率いる西軍と家康率いる東軍が激突します。
 
如水は家康が勝利すると予想し、息子長政とともに東軍として参加しました。長政の活躍もあり東軍が勝利し家康は天下を平定します。
 
戦後、長政は功績が称えられ家康から豊前国名島(現在の福岡)に50万石を与えられます。この時如水も加増を提示されますがこれを固辞し、本格的な隠居生活に入ります。隠居生活に入る前、如水は家臣に厳しく当たり家臣を遠ざけました。
 
これは家臣に如水の代が早く終わり、長政の代になることを望ませるよう長政に配慮してのことです。万全の態勢を整えた如水は九州で隠居生活を送り、慶長9年この世を去ります。
 

まとめ

・先を見通す目を持ち信義を尽くす
・危機の中に勝機を見出す
・臨機応変に立ち回る
・相手の真意を見抜く

辞世の句は『思いおく 言の葉なくて つひに行く 道は迷わじ なるに任せて』です。意味はこの世に思い残すことは何もない、迷うことなく心静かに旅だとうというところでしょうか。最後まで他人に媚びることなく富貴を望まず、参謀としての生き方を貫いた黒田官兵衛は、学ぶべきところの多い人物です。
 
常に冷静な状況判断をに行うことにより、ピンチをチャンスに変えてきた黒田官兵衛。そこには先を見据え、信頼のおけるパートナーの能力を引き出す力がありました。力量を見極め相手の真意を捉える術は、経営においても重要なスキルではないでしょうか。


おまけ
ちなみに、なぜ官兵衛は『如水』と改名したのでしょうか。老子の言葉に『上善如水』という言葉があります。老子は中国春秋戦国時代の哲学者で、たくさんの名言を後世に残しました。 『上善如水』はその中の一つです。
 

これは『器に関係なく自らを変える柔軟さを持ち、人の嫌がる低いところへ向かって流れていき、緩やかに流れれば人を癒すが、ひとたび激しく流れれば何もかも流してしまう力を持つ水のようにしなやかに生きることが理想である』という意味です。


実際この言葉を官兵衛が参考にしたかはわかりませんが、水の如く清らかで柔軟でありたいという思いをこの名前に込めたのかもしれません。

momo





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