カップヌードル、チキンラーメン開発者・安藤百福から学ぶ成功の秘訣

妻・仁子を題材にしたドラマ「まんぷく」がNHK朝ドラで放送され、日清食品の創業者であり、インスタントラーメンの生みの親でもある安藤百福(ももふく)とは。 残した名言や生き方は、のちの世の経営者に多大な影響を与えました。 日本統治下の台湾で生まれ、その生涯は多くの波乱・そして功績に満ちたものでした。注目を集める安藤百福発明記念館についても紹介します。

こんにちは、ライターのもるちゃこです。
突然ですが、みなさんは安藤百福ももふくという人物をご存じでしょうか。
実は私、先日横浜にあるカップヌードルミュージアム(正式名称:安藤百福発明記念館)という施設へ行き、初めてこの方の存在を知りました。
 
この安藤百福とは、「チキンラーメン」や「カップヌードル」で有名な日清食品の創業者であり、インスタントラーメンの生みの親でもあります。百福の残した名言や生き方は、のちの世の経営者に多大な影響を与えました。カップヌードルミュージアムはその百福の業績を記念してつくられたものです。
 
そして2018年10月から開始するNHKの朝ドラ(連続テレビ小説)「まんぷく」では、この安藤百福とその妻・仁子まさこをモデルにしたストーリーが展開されます。先日百福がモデルの人物のキャストに長谷川博己さんが決定したということでも話題になりましたね。
今回はその百福がどんな人物だったのか、取り上げてみたいと思います。

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※カップヌードルミュージアム内展示の一部

安藤百福ももふくの生涯と、インスタントラーメンの誕生秘話

f:id:tentsu_media:20180216105833j:plain安藤百福氏(1910〜2007)
※カップヌードルミュージアム内展示の一部
百福は、1910年の日本統治下の台湾で生まれました。
2007年に96歳の生涯を閉じることになるのですが、その人生は多くの波乱・そして功績に満ちたものでした。
 
昭和7年、22歳の時に亡父の遺した資金を元手に、台湾で「東洋メリヤス」という繊維業会社を興します。
翌年には会社の本拠地を日本・大阪に移し、繊維事業の他にも精密機器や飛行機用エンジン部品の製造など、さまざまな事業に着手。第二次世界大戦真っただ中の激動時代の波に流されながらも、各事業で成功を収めました。
 
しかし、終戦後すぐに百福が理事長を務めていた信用組合が破たんし、すべての財産を失うことになります。それでも百福はここで折れることはありませんでした。
 
終戦後は食べ物が不足し、栄養失調で亡くなる人が後を絶ちませんでした。そんな光景を見てきた百福は、自身が苦難の状況にありながらも「やっぱり食が大事。食がなければ、衣も住も、芸術も文化もあったものではない」と、全くノウハウも無い食品の開発に着手したのです。
 

自宅の小屋で再起をかけたインスタントラーメン開発

百福は、大阪の闇市でラーメン屋台に行列を作る人々を思い出し、お湯があれば家庭ですぐに食べられるラーメンを作ろうと決心します。家庭に冷蔵庫もまだ普及していない時代で、常備できる保存性のあるラーメンを作りたいというとても斬新な考えでした。
 
そうして資金のないなか、自宅裏庭に小屋を作って、一人でインスタントラーメンの開発に没頭します。しかし、丸一年間休みなく研究しましたが、理想とするインスタントラーメンを完成させることができずにいました。
 
そんなあるとき妻・仁子まさこが台所でてんぷらを揚げている姿を見て、「瞬間油熱乾燥法」を思いつきます。麺を高温の油で揚げて水分を抜き、乾燥状態とさせることで、保存ができるようになりました。
 
こうして最初に開発されたのが、あの「チキンラーメン」です。
当時は今の値段の5~6倍の金額で、問屋が取り扱ってくれませんでしたが、実際に食べた人からの口コミなどで注文が殺到。問屋が工場前で列をなし、でき上がるのを待つほどの大ヒットとなったのです。
 
時代の流れを読み取り、世の中のニーズに応えた百福の大勝利となりました。

f:id:tentsu_media:20180214161022j:plain※チキンラーメンを卵とネギで調理した例。乾燥味付け麺に湯を入れることで、麺からスープがしみ出す。(出典:Wikipedia)


日清食品の誕生・カップヌードルの浸透

チキンラーメンが完成した1958年、百福が事業活動の拠点としていた「サンシー殖産株式会社(1948年創業)」を「日清食品株式会社」に商号変更しました。
その時既に齢48歳。百福は「私が即席めんの開発にたどり着くには、それまでの48年間の人生は必要だった」と語っています。
 
その後、チキンラーメンを紙コップに入れてフォークで食べるアメリカ人から発想を得て、紙コップで手軽に食べられるラーメン「カップヌードル」を完成させます。これが百福61歳の時(1971年)でした。
販売当初は値段も高く、苦戦もしましたが、お湯の出る自動販売機を開発することで若者を中心に人気を集めました。
 
そして1972年2月に起きた「あさま山荘事件」で、山荘を取り囲む機動隊員たちがカップヌードルを食べている様子がテレビ中継に映し出されました。当時視聴率約90%に達していたというほど国民の関心がある事件でもあったため、これを機にカップヌードルの人気を全国区のものにしたのです。
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愛され続けるブランドの影にあるもの

インスタントラーメン完成から60年たった現在でも、日清食品の商品は即席麺市場の国内シェアの50%近くを占め、トップを独走しています。主力商品はやはり、カップヌードルシリーズやチキンラーメン、どん兵衛、ラ王など、誰もが一度は食べたことがあるものばかりかと思います。
  
長い年月をトップで走り続けた日清食品は、商品を真似されることも多かったことでしょう。
それでも業界のトップとして独走し続けてきたその影には、常に“新商品開発の意欲”があったからこそ、これほど多くの人に愛され続ける商品・ブランドになったのではないでしょうか。
 
さらに百福は、91歳の時に宇宙食ラーメン開発チームを発足。自ら指揮を執り、95歳の時に「無重力状態でも食べられるラーメン」を完成させました。一体どんな味なのか、宇宙に行く際はぜひ持っていきたいと思います。(※冗談です)
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※カップヌードルミュージアム内展示の一部
 

百福の名言から学ぶ、成功の秘訣

「ひらめきは執念から生まれる」
「人生に遅すぎることはない」

 
まだまだ数多くの名言があるのですが、この2つが私自身感銘を受けた百福の言葉です。
 
今回この安藤百福という人物に触れ、内容や仕事は違えど、何かを成し遂げるにはひたすら“考え続ける執念”から成功が生まれるのだと強く感じました。そして、年齢によって諦めたり言い訳することでチャレンジ精神を失い、成功から遠ざかるのだということは今後の教訓にしていきたいと思います。
 
みなさんも、安藤百福の名言から成功への秘訣が見えてきたでしょうか。
 
そして冒頭でも少しご紹介しましたが、この安藤百福と、その妻・仁子を題材にしたNHKの朝ドラ「まんぷく」が今年の10月から放送されます。
脚本が「HERO」「ガリレオ」「龍馬伝」などでおなじみの福田靖さんが担当とのことですので、私としてもかなり注目しています。まさにこれまでお話した、戦後・高度経済成長期という時代の波に翻弄ほんろうされる百福の、どん底からの復活物語を描く内容のようです。
 
また、同様に先ほど紹介したカップヌードルミュージアムでも、さらに詳しい情報を得ることができます。朝ドラと合わせて、一度足を運んでみてはいかがでしょうか。
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■カップヌードルミュージアム 横浜
〒231-0001 神奈川県横浜市中区新港2-3-4
TEL: 045-345-0918
開館時間:10:00 〜 18:00 (入館は17:00まで)
https://www.cupnoodles-museum.jp/ja/

もるちゃこ

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